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「あの逆光線の船は完全に影絵じゃありませんか」
「生における最大の実が人を虚へ運ぶ死である。」
ふと目にした雑誌にこのような言葉が書かれていた。それは荒木経惟の写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』の紹介文に添えられていた言葉だったが、その言葉を「生における最大のリアリティは人をフィクションへ引きずり込む死である」と読み替えた途端に演劇あるいは舞台表現そのものの地平が開かれる言葉の様に感じられたのだった。 死について考える、あるいは考えています。と口に出して言う事はもはや何かしらの気恥ずかしさが付きまとうが、その事について改めて直視しようとした時にそれは結局「よく分からない事はわかる」としか言いようがない矛盾を持ったものなのだと気付かされる。しかしその「よくわからないもの」を舞台にあげるという事は「よくわからないもの」に想像力を働かせ遊ぶと言う事であり、それはフィクションに対しフィクションで対抗するという事だ。 その為に今回、梶井基次郎の『Kの昇天』を下敷きに、彼のペンの切先を私自身の身体にズブズブと食い込ませ、貫かれたその切先を俳優達にそのまま向けようとしている。 (相模友士郎)
●相模友士郎プロフィール
1982年福井生まれ。00年より自身をモチーフとした映像作品を制作。04年、舞台映像をきっかけに演出・舞台美術などで舞台作品に関わり始める。主な映像作品に『ふと』(‘04)『埠頭にて』(‘05)、舞台美術では『であろうがなかろうが』『蜆ルリイロ』『あいまいきどり』等。虚ろなリアリティと具現化する表現の矛盾を主題に作品を発表し続けている。他に様々な公演チラシのデザインを手掛け、最近では『プロセス太田省吾演劇論集』(市立書房刊)等、本の装丁も行なっている。
今回の『SM』のメンバーが中心になって昨年上演した『泥濘』には、空間や身体に対する鋭敏な感覚とともに、いまや徹底して「演劇」を疑うことによってしか面白い演劇は成立しないというアクチュアルな認識が示されていた。彼らはそこからさらに「演劇」を疑うこと自体を疑う姿勢を通して作品を構想しているらしい。それが決してシニカルな実験ではなく、舞台芸術の根源的な欲望や快楽を探り出す試みであることだけは疑いない。
八角聡仁(京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科教授/批評家)
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