【若衆歌舞伎の上演】
慶長年間、出雲大社の巫女の阿国が、京都四条河原の勧進興行で見せた念仏踊りが、歌舞伎の始まりと言われています。そして、それが世に女歌舞伎と呼ばれ流行を極めますが、風紀上の理由で停止となり、今度は美少年を集めて興行したのが若衆歌舞伎です。この若衆歌舞伎も女歌舞伎と同様の理由で興行停止にあい、野郎歌舞伎に変わり、それが現在の歌舞伎につながっています。
「好色氏神詣」は、若衆歌舞伎の残された数少ない脚本の一つです。また、劇中の幕合舞踊の「馬場先踊」は志賀山一流に伝承されています。この二つをもとにしての若衆歌舞伎の上演は志賀山一流十世家元 中村万作の長年の夢でした。2001年の札幌で初演されていますが、この度、歌舞伎発祥の地である京都で上演されることとなりました。
今回の上演に際しては、狂言大蔵流茂山家にご協力をいただき、茂山千之丞氏の演出で、志賀山一流師範名取 志賀山扇右のほか、茂山千五郎家のご一門の皆様方のご出演という、豪華な顔ぶれでの舞台となります。
【学生の参加】
また、この公演には多くの京都造形芸術大学の学生(和太鼓“悳”のメンバー5名)が参加しています。
宣伝美術や小道具、衣裳製作だけではなく、出演者としてもプロの演者の方々と同じ舞台に立ちます。一つの作品が作られる様々な過程に学生が参加していくことは、舞台芸術の第一線で活躍する方々とこれからを担う学生たちとの間に交流を生み、学生たちにとって貴重な体験となります。
出演する学生たちは、すでに8月から稽古を始めており、小道具や衣裳の製作も 演出家である茂山千之丞氏のプランに基づき、準備が進められています。
往時から三百年以上の年月を経た今、「好色氏神詣」の上演にかけた夢と、日本古来の芸術に挑む若者たちの情熱が創り出す舞台をお楽しみください。 |
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| [演 目] |
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舞踊「松の緑」、立方 志賀山扇右
若衆歌舞伎「好色氏神詣」
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「氏神詣」と称してお花見へ出かけたお殿様。 引き連れた大勢の家来の中には、二人の美少年のお小姓がいます。風に舞う桜の花びらに誘われたのか、移り気なお殿様の心も あっちにフラフラ、こっちにフラフラ…。お殿様の浮気性に嫉妬するお小姓と、呆れ顔の家来たち。さてさて、楽しいはずのお花見の結末や如何に。 |
| [監修・脚色] |
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中村 万作 |
| [演 出] |
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茂山 千之丞(好色氏神詣) |
| [出 演] |
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志賀山扇右 茂山千五郎 茂山七五三 茂山千三郎 茂山正邦
茂山宗彦 茂山 茂 茂山逸平 茂山童司 茂山良暢
京都造形芸術大学学生
長唄/杵屋佐冨次 杵屋勝六三
三味線/杵屋勝進次 今藤佐志郎
鳴物/藤舎秀啓 藤舎清鷹 藤舎悦芳 中村寿慶 |
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| プロフィール |
| 志賀山扇右(しがやませんゆう)本名:宮北佳卓(みやきたよしたか) |
| 昭和55年 |
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■鹿児島市生まれ。 |
| 昭和57年 |
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■2歳で初舞台を踏む。 |
| 平成11年 |
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■堀越高等学校総合トレイトコース(芸能活動コース)卒業。日本舞踊の流派、志賀山一流十世家元中村万作に師事し始める。
■独自の流派 佳卓流を創設。以後、日本全国各地公演、ゲストとしての舞台出演の傍ら、弟子の育成も手がける。
■日本民謡協会主催、「民舞の祭典・振り付けコンクール(東京国立劇場)」にて、平均年齢17歳の最年少グループ“佳卓舞踊会”として初出場し「相馬盆唄」で銀賞受賞。 |
| 平成13年 |
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■吉祥寺前進座劇場にて東京での初公演。
■師・中村万作による脚色で復活した若衆歌舞伎「氏神詣」札幌公演に、艶之丞役で、長唄・東音宮田哲男師、囃子・堅田善三久師、狂言・茂山千作師の三人の人間国宝の方々と共演。
■元リトアニア領事館大使、故・杉原千畝氏生誕100年記念日本リトアニア友好交流祭に日本代表として、初の海外公演。 |
| 平成14年 |
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■志賀山一流師範名取「志賀山扇右」の名を許さる。以後、「古典舞踊家・志賀山扇右」と「新舞踊家・佳卓」の二つの名前を持ち活動。 |
| 平成15年 |
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■MBS毎日放送ドキュメンタリー番組〈映像03〉「舞に狂うて万作と佳卓」放映。志賀山一流白鳳会佳卓こと志賀山扇右名披露公演を開催。 |
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