| 演出・構成・振付・出演 |
: |
山下残 |
| 照明 |
: |
高原文江 |
| 音響 |
: |
土井新二朗 |
| 映像 |
: |
山田晋平 |
| 制作 |
: |
山口春美 |
| チラシ |
: |
納谷衣美 |
| イラスト |
: |
山尾圭介 |
| 主催 |
: |
山下残 |
| 協力 |
: |
京都造形芸術大学
舞台芸術研究センター |
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山下残(やましたざん)
1970年大阪府出身。3歳の頃から父親の教えで囲碁を始める。プロ棋士を目指し碁会所に通うが子供相手に本気になる大人達が怖くてやめる。14歳の時ロックに出会う。ミュージシャンを目指しバンド活動をするが80年代後半のバンドプームが嫌でやめる。18歳の時、印刷工場に就職。夜勤が嫌で3ヶ月でやめる。人生あきらめかけた19歳の頃、どうせだめならと踊り始める。初舞台は京橋のJRと京阪の間の通路。現在は振付家・ダンサーとして活動中。代表作に、振付を観客に配った本の中に書き写した「そこに書いてある」、振付を言葉に翻訳して舞台で語った「透明人間」などがある。
尾崎放哉(おざき・ほうさい) 1885−1926
種田山頭火と並び、自由律俳句を代表する俳人。明治18年鳥取県生まれ。東京帝国大学卒業後、東洋通信社を経て東洋生命保険に入社。大正11年朝鮮火災海上保険の支配人の職を得るが禁酒の入社条件を破り免職となる。その後、肋膜炎を患い、大正12年京都の一燈園で托鉢生活に入り、京都、須磨、小浜の寺々の寺男として転々とする間、膨大な俳句を詠み才能を見事に開花。大正14年八月に小豆島で西光寺奥の院南郷庵「みなんごあん」の庵主となった後、病苦に苛まれながらも三千句に近い俳句を作り、翌年四月孤独のまま生涯を終えた。
<テキスト例(当日使うとは限りません)>
「咳をしても一人」
「淋しい寝る本がない」
「足のうら洗へば白くなる」
「一つの湯呑を置いてむせてゐる」
「冬川にごみを流してもどる」
「底がぬけた柄杓で水を呑まうとした」
「障子の穴から覗いて見ても留守である」
「鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た」
「かたい机でうたた寝して居つた」 |
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