京都芸術劇場 春秋座 studio21

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公演情報

公演名

淡路人形浄瑠璃
~『玉藻前曦袂』(たまものまえあさひのたもと)~

日時 2011年1月29日(土) 15:00開演 (14:30開場)
会場 京都芸術劇場 春秋座
料金 【全席指定】
一般     3500円
シニア    3000円
学生&ユース 1000円(200席限定)
※ シニア、学生&ユースは身分証明書提示必用
予約・お申込み 2010年10月22日(金)10:00発売開始
□京都芸術劇場チケットセンター
 TEL:075-791-8240(平日10:00~17:00)
□京都芸術劇場オンラインチケットストア
チケット購入
電子チケットぴあ
 TEL:0570-02-9999 (Pコード:406-807)
□京都新聞文化センター TEL:075-256-0007
 (京都新聞社1F窓口のみ/10:00~17:00※土・日・祝を除く)
□KBS京都事業部
 TEL:075-431-8300
 (電話のみ/10:00 ~17:00 ※土・日・祝除く)
□京都・滋賀各大学生協プレイガイド
友の会特典 先行発売 10月21日(木)10:00
京都芸術劇場 京都芸術劇場友の会
2800円 ←700円お得!


入会はこちらから
お問合せ 京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター
TEL:075-791-8199

『玉藻前曦袂』(たまものまえあさひのたもと)

淡路人形座が演じる『玉藻前曦袂』は、豊竹座が上演した『玉藻前曦袂』を読本「絵本三国妖婦伝」をもとに改作した増補作品である。金毛九尾の妖狐が三国(天竺、唐土、日本)を股にかけて国家転覆を謀るが、最終的に陰陽師の安倍泰成に正体を見破られ、神鏡の威力で那須野が原に飛び去り殺生石に変じる過程を描いている。狐の宙づりや、ケレン味に溢れる狐七化け、主遣いの衣装の早替りなど、人形の見せ場が多い作品で、淡路では昭和四十年代まで通しで伝承されていた。昭和四十五年に国立劇場で通し上演された後、上演が途絶えていたが、平成になって淡路人形座は全国人形芝居サミット&フェスティバルで「道春館の段」、「狐七化け」を復活し、一昨年には約四十年ぶりに「神泉苑の段」を復活上演した。座では、来年建設予定の新会館で淡路ゆかりの演目を上演するために、人形浄瑠璃研究者の助言を得ながら、順次淡路独特の出し物を復活上演させている。

これまでのあらすじ

金毛九尾の妖狐が天竺(インド)で班足王の夫人となって王を誑かしていたが、正体を暴かれて唐土(中国)にわたり、殷の紂王の后となる。しかしここでも正体を見破られ日本へ渡る。

日食の日に生まれたために帝位につけなかった薄雲の皇子は、帝位を簒奪しようと弟の鳥羽天皇に反逆を企て、故右大臣道春家に伝わる獅子王の剣を鷲塚金藤次に盗ませる。また、道春の娘桂姫(実は鷲塚の娘)に横恋慕し、清水寺への参詣の途中に家来に襲わせるが、姫の恋人に追い散らされる。そこで、金藤次に意にそわぬ姫の首を討つよう命じる。

道春館の段

薄雲の皇子の使者金藤次が道春の館を訪れ、獅子王の剣か桂姫の首かどちらかを差し出せと後室萩の方に迫る。萩の方は桂姫が拾い子であると打ち明け、実子の初花姫とすごろくで負けた方の首を討つよう頼み、姉妹は互いに負けようと争う。桂姫が勝ったのに金藤次が桂姫の首を討ったので、怒った萩の方が薙刀で切り付け、駆けつけた采女之助が脇を刺す。金藤次は苦しみながら、桂姫は自分が捨てた子で、皇子の命令で獅子王の剣を盗んだのも自分であることを打ち明け息絶える。初花の詠歌が叡感にかない入内することになる。

神泉苑の段

初花姫は入内して玉藻前となり帝の寵愛をうける。神泉苑の渡殿で亡き姉を偲んでいると、一陣の風と共に妖狐が現れ、玉藻前を食い殺し、代わって玉藻前に化ける。そこに現れた薄雲の皇子は自分の野望を語り、玉藻前を口説く。玉藻前も自分が日本を魔界にしようとする狐であることを打ち明け、協力を約束する。陰陽師安倍泰成が神鏡で照らすと狐は正体を現し那須野が原に飛び去る。

狐七化け

那須野が原へ逃げた狐は三浦之介と上総之介に射殺され、殺生石になる。妖狐の霊魂が玉藻前、狐、花笠、雷、座頭など様々な姿に早替りする。

淡路人形と淡路人形座の歴史

五百年の歴史を誇り、国指定重要無形民俗文化財でもある淡路人形芝居の由来は色々な説がありますが、鎌倉時代、淡路島に大阪四天王寺より舞楽など神事を生業とする楽人が移り住み、その後西宮の戎神社に属したエビスカキから人形操りが伝わり、神事を人形操りで行うようになったのが大評判になったと考えられています。
漁の安全と恵みを祈るものとして、また、家、土地、船を守り、神を讃える神聖な季節の行事として定着し、昭和初期までは、門付けの三番叟や戎舞が淡路の各家を回り神棚の前で幸せを祈っていました。
元亀元年(1570)宮中紫宸殿で三社神楽操之式を奉納した引田源之丞が綸旨を賜り従四位下に叙せられたと伝えられています。

最盛期の18世紀初めには40以上の座本が覇を競い、人形役者が930人もおり淡路島のみならず日本全国を巡業し、各地に人形芝居を伝えました。
江戸時代の末に大阪に出て「文楽」を創始した文楽軒も淡路出身です。庶民の娯楽として始まった文楽と異なり、神事や宗教色の濃い外題も残し、また、野掛け舞台だったため大きな人形、大きな動作で、時代物を得意としています。
早替りや道具返し、衣装山など淡路独特の演出や演技も派手でケレン味が尊ばれ、気軽に楽しめるという人形芝居本来の雰囲気を残した外題も多く、女性の座員も活躍する舞台は華やかです。