『ディクテ』を知ったのは五年前。その頃は内容について、あまりよく分からなかったんです。興味が無かったのではなく、自分と距離があるというか、遠い感じがしまして。
その頃、自分の演劇集団「マレビトの会」の活動をする中で、俳優が舞台で書かれた文字を発することに非常に興味を持ってきたんです。元々、声は息だし、息を肺に入れて呼吸をしながら外へ出した時に、言葉となって人と共有することができる。そういう言葉になる前の、息が声になる様子を舞台で見てみたいと。
そんな時、そういう発話に関することを色々と語っていた書物があったなと『ディクテ』の事を思い出したんです。再度読むと、母語と違う言葉を発する時、身体が軋み途切れがちになるということが書かれている。それと舞台における発話の問題が繋がった感じがしたんですね。そこで発話する時の身体のあり方を、このテクストでもう一度、問題にしたいと思ったんです。
難しいのは、テレサの来歴が様々な形で本に現れていること。一家が韓国軍政を逃れ、アメリカに移住する中で確立されたてきたものを、平和ボケした日本で表現するのは安易ではない。そういう題材との距離感も問題になっていくでしょうね。我々に、批判的な視線を送り込む事にもなればいいなと思いっています。
今回は日韓の俳優が出演しますが、共同プロジェクトとはいえ、互いの文化やアイデンティティを確認し合うというものではありません。テレサは亡命先から故郷や自己の存在意義を問い続けざるを得なかった。ゆえにアメリカ人やフランス人にも意味を持つ作品でなくてはいけないと思っています。
今回は、自分の脚本ではなく他の人のテクストを使うので、私にとって挑戦といえば挑戦ですね。しかも役者も誰かの人格を演じるわけではないので、俳優自身の存在も問われることになる。そんな意味でも面白い作品になると思います。
(舞台芸術研究センター主任研究員 松田正隆 談) |